特集、斉藤亮。vol.1 XCスキー編

MTBに転向して5年目。遅咲きと表現するのはちょっと違うかもしれないが、エンデュランスアスリートとしてはこれから油の乗り切った状態になる32歳にして今期の国内MTB最高峰シリーズ、JCF MTBジャパンシリーズを総合優勝したのが斉藤亮だ。
チームの紹介文にはクロスカントリースキー出身の異色のライダーと書かれるが、彼が世界でもトップレベルのクロスカントリースキー選手であった事はあまり自転車の世界では知られていない。

本来なら、アスリートとしての自分を宣伝するためにクロスカントリースキーでのキャリアについては声を大にして語った方が良いはずだが、何故、斉藤亮は語らないのだろうか?アスリートとしてのキャリア、オリンピックへの思い、そして今シーズン、来シーズンの話を聞いた。

まるでキャプテン翼の登場人物の様に絵に描いたような爽やかさが特徴の斉藤亮だが、クロスカントリースキー競技時代の特にトリノオリンピック前後の話になると眉間に皺をよせながら、当時の事を語った。
ジャパンシリーズで日本の頂点に登り詰めた斉藤亮はどのようにして出来上がったのだろうか?

「クロスカントリースキーとの出会いっていうのは、小学校1年の時ですね。生まれ育ったのが長野県の飯山市という土地柄もあって体育の授業にXCスキーが取り入れられていたのが始まり。
レースって言う意味だと、小学3年の時に放課後にやってるスキークラブというのに入ってXCスキーレースに出たら楽しくなっちゃって本格的に始めました。」

こうしてXCスキーの世界に入った斉藤亮は、飯山市と隣接する野沢温泉村だけで16名のオリンピック選手を輩出してきたという環境も手伝って、中学時代は全国中学大会に3年連続で出場、3年時には7位に入ったという。

「転機になったのは高校選びですね。地元に飯山南高校っていう高校があって、そこには公立では珍しい体育科があるんです。それもスキーを中心とした体育科。1クラス35人居て、3学年で100人超えですよね。
その中でインターハイに出られるのは各セクション3人。幸いにしてというか、努力もしたので1年からインターハイに出られて2年ではインターハイリレーで優勝。3年では個人戦2位、リレーでも2位になれた。」

XCスキー選手として順調にステップを登った斉藤は、高校卒業時に大学進学か、実業団入りかの2択選択で後者を選択した。いくつか貰っていたオファーの中で選んだのが、陸上自衛隊の持っている実業団チーム、陸上自衛隊冬季戦技教育隊だった。(注:マラソンやスキー、水泳などオリンピックでのメダルが焦点に入ってくる競技は、その活動へのバックアップ体制から実業団が中心。)
読者の方々もオリンピックの射撃やバイアスロンなどの競技で陸上自衛隊が上位に入っている事は知っていると思うが、そのスキー等の雪上競技に特化した実業団チームが冬季戦技教育隊で、北海道の真駒内駐屯地を拠点としている。

「ここで7年間実業団として活動する事になりました。自衛隊と言っても想像するような訓練は一切なしで、スキーのそれもワールドカップやオリンピックを戦うためだけに必要な活動を365日行うという環境。いわゆる自衛官の制服を着る事は年に1度か2度しかなかった。」

こうしてオリンピック出場を命題とされた環境の中で、ワールドカップを転戦する生活を送り実業団3年目の22歳で迎えたソルトレーク五輪選考。

「この時は出れたら良いかな?ぐらいの気持ちでワールドカップを転戦していたんですが、結果としてワールドカップの総合選抜で敗れて選考から落ちてしまった。その経験と転戦して行くうちに、オリンピックに出るというよりも出て何が出来るのか?それを考えてそれからのシーズンに取り組んで行くようになりました。」

日本のトップ選手として年間の半分、10月から3月をヨーロッパを中心とした海外で転戦する生活を送り、ワールドカップの最高成績も27位というリザルトを残して迎えた2度目のオリンピック選考シーズン。

「あの年は、全日本選手権は勝ったものの前年に比べて絶好調と言う訳ではなくて、ワールドカップで重要とされるFISポイント自体は悪くはないけど良くもないというものでした。
とはいえオリンピックの出場枠は日本で6枠持っていたので、FISポイントランキングで日本人4番手につけていたので当然選ばれるだろうと思っていた。」

しかし、トリノ五輪のXCスキー代表に斉藤亮が選ばれる事は無かった。どの競技でも文句がつかない事の無いオリンピックの代表選考。斉藤亮は今でも、その時の事はあまり思い出したくないという。

「小学校の頃からいつかはオリンピックと思ってやってきましたからね。失意とかそういうレベルで話せる話じゃない。一発選考、総合選抜、どっちの選考方法を取っても波風の立たない選考っていうのはあり得ないんですが、あの選考に関しては今でもまったく理由が解らない。
総合選抜なのに上位だった僕が落とされて、替わりに代表でオリンピックに行ったのは若手の選手。特に、XCスキーはリレー競技が日本が得意なのに4人枠の中にスプリント専門の選手を入れたからトリノでは前代未聞の日本代表がDNSという結果になった。
そもそもそのシーズンは、最初からオリンピックに行く事を前提に遠征スケジュールを自分もチームも立ててヨーロッパ遠征を経てからトリノ入りの予定だった。
選考結果の電話を受け取ったのはトリノ直前のワールドカップが開催されていたドイツのミュンヘン。そのまま1ヶ月程現地に置き去りになって、日本に帰ったらチームからは完全にお払い箱状態。拠点に帰ったら、もうロッカーの荷物をまとめて家に帰ってねという雰囲気でしたから。」

こうして失意の斉藤はXCスキーの世界からの引退を決意した。

「実業団をクビになって、そのまま辞めても良かったんですが、ちょうどトリノの翌年に地元の長野で長野かがやき国体っていうのがあった。
せめて、オリンピックでの選考が本当に正しかったのかということをどうしても示したくて・・・ここで勝って辞めようと思ったんですよ。」

チームのサポートが無くなり、プライベーターとして2007~2008年を過ごした斉藤亮は、地元のスポーツセンターで日中は働きながら、トレーニングを積んで長野国体に臨んだ。

「結果として、その年は長野県選手権、そして国体でも勝つ事が出来て応援してくれた皆に最後に結果を残して満足してスキー選手を辞める事が出来た。」

このシーズンにMTB選手としてデビューし、スキーコーチとして働きながらステップアップを重ねてワークスチーム入りする事になるのだが、どのようにして斉藤はMTBと出会い、なぜスキーの次の競技にMTBを選んだのだろうか?

斉藤亮
1980年9月30日生まれ
MIYATA-MERIDA BIKING TEAM所属
2012年JCF MTBナショナルランキング1位
2012JCF MTBジャパンシリーズ(J1)3勝
2012MTB全日本選手権3位

vol.2に続く

特集、斉藤亮。vol.1 XCスキー編
特集、斉藤亮。vol.2 自転車選手編
特集、斉藤亮。vol.3 絶対王者への布石

interview:Kenji Nanba
photo:The Bike Journal
date:12.12.20