大人のグランドツーリング、旧中山道編 Vol.2

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滋賀県と京都府に店舗を構えるSTRADA BICYCLESの店主、井上寿さんが江戸時代の五街道のひとつ、旧中山道(東京・日本橋ー滋賀県・草津市)の旅に出た。全長129里(約505km、1里=3.93km)に及ぶロングツーリング、初日から2日目までの紀行文をお届けします。

一日目(日本橋 ー 高崎宿)

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4月21日朝6時、雨がそぼ降る日本橋を出発することにしました。事前に仲間を募ったので、今回の旅には道中いろんな方々にご同行いただくことになっています。初日はアメリカンブランドの雄キャノンデール社から岡村さん、栄田さんに同行いただきました。

私も含め全員がキャノンデールのニューモデル「SYNAPSE Hi-MOD」に乗ります。速く軽く乗り心地抜群の駿馬達。細い道や荒れた道、完全な山道が控える街道旅には最適の選択です。月曜日の早朝、日本橋には雨に濡れながら3人のサイクリストが集いました。

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日本橋は東海道とともに中山道の出発点です。それは現在でも変わりません。その証拠に日本橋の橋のど真ん中に「日本道路元標」のプレートが設置されています。出発してすぐ目につくのは百貨店の通り。

14077414161_facff0e03f_b日本橋は江戸時代の商人の町で、三井越後屋(いまの三越)などの大店(おおたな)がありました。現在も「MITSUKOSHI」の大きなサインが目に入ります。GPSの調子が悪く、三人で道探し。そのまま神田駅のガードをくぐり神田明神の間をうろうろ。とげぬき地蔵のある巣鴨地蔵通商店街を通り、最初の宿「板橋宿」に到着しました。

街道を京都まで走りきってから振り返ると分かるのですが、当時の宿場町が商店街になっているところが多く、この板橋宿の商店街は相当に大きな規模で、当時も江戸近郊であったため大変なにぎわいだったそうです。商店街を過ぎ宿場の外れの橋に着きました。ここに木製の板橋が存在したことが宿名の由来です。

しばらく進み荒川を越えるところが「戸田の渡し」。江戸時代、幕府は防衛のために河川に架橋を許さず徒歩渡りか船での渡しを強制しました。渡しをすぎてすぐが「蕨宿」です。ここで雨がやみました。昔は宿場と宿場の間に「立場(たてば)」「間の宿(あいのしゅく)」と呼ばれる、茶店等がならぶところがあり、旅人達はそこで休憩をしたり食事をしたりしたのです。ということで我々は現代風の立場、コンビニエンスストアでスープを摂ることに。

冷えきった身体には暖かいスープが染み渡ります。蕨宿からはキャノンデールの岡村さんと二人旅。仕事の話や旅の話を続けながらひたすら平地を北上していきます。「浦和宿」「大宮宿」「上尾宿」「桶川宿」「鴻巣宿」と一定ペースで走行。キャノンデールの岡村さんはは埼玉が地元。街道の見所は開発によってかなり失われていましたが、彼の案内で浦和の調神社、大宮の氷川神社、鴻巣の雛人形など有名な場所を見ることができました。

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徒歩での旅のように、宿場ごとに詳細に踏査すればもっと名所を見つけることができるでしょうが、今回の旅は旧中山道を一度に走り切るのが最大の目的です。これはあくまで冒険的サイクリングなのです。速さや順位、距離を競うものではありませんが、そこそこのペースで進まないと時間ばかりかかることになってしまうため先を急ぎます。

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15時近くになって「熊谷宿」へ到着。ようやく少しペースを落とす区間に入りました。熊谷宿は荒川に沿って街道が通じています。荒川の土手を上がると途端に視野が開け、一面の菜の花が目に飛び込んできました。一服の清涼剤です。印象深い景色を見ることは旅の最大のエネルギーとなります。昔の旅人はどうだったのでしょうか。ふとそんな思いを馳せます。

再び出発。幹線道路を北上し「熊谷宿」「深谷宿」「本庄宿」を過ぎていきました。この辺りでようやく交通量が減ってきて走りやすくなってきました。旧中山道はこの辺りから住宅街の中を通ったり畑道を通ったり変化を見せ始めました。中にはこんな未舗装路区間も。北のクラッシックレースで優勝しているSYNAPSEにとってはグラベルロードはお手の物。28Cのタイヤもあいまって快適な走行感覚です。ちょっと調子に乗って未舗装路を寄り道してしまいました。

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「新町宿」「倉賀野宿」を越える頃には辺りは夕暮れ。ライトを点灯する頃合いになってようやく「高崎宿」に入りホテルに投宿しました。さすがに都市部は震災や戦争などで街道の文物は逸失しているところが多かったようです。その分明日からの木曽路に向け距離を稼ぐことにしました。今日の走行距離は二十九里(113キロ)。朝6時から18時半まで走り続けました。旧街道の旅としては距離は長い方です。明日からこそが本格的な旅路の始まり。期待を胸に早々に就寝しました。

二日目(高崎宿 ー 芦田宿)

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朝5時に起床。雨上がりの朝はとても空気が澄んでいて快適。しかし今日は旧中山道でも最大の難所と言われる「碓氷峠」を越える日です。清々しい中にも微妙な緊張を抱えすぐに身支度を整え宿を出発しました。高崎を出発して大きな国道にでると「一里塚」があったため休憩を取りました。

この一里塚とは、街道に沿って一里ごとに造られたもので、道を挟んだ両側にこんもりとした盛り土を築き、その上に榎や松、楓などを植えて街道の目印にしたものです。旅人の休憩場所。駕篭かきや人馬による荷運びの料金の目安場所として活用されました。いまで言うタクシーメーターみたいなものですね。

ふと国道を見ると4車線道路が通勤ラッシュで渋滞になっています。昔この一里塚で休んでいた旅人は、よもや街道がこんな姿に変化するなんて想像もできなかったことでしょう。そんな私も渋滞の横で自転車に乗っている自分に少し違和感を感じました。そうそうに再出発し「安中宿」「松井田宿」を過ぎて行きます。この辺りから格子戸がある「連子格子」の家が増えてきました。

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道の辻や小さな山道などには石仏が目立ち始め、一気に街道気分が盛り上がります。顔を上げると火山の名残である刺々しい岩山が目の前に。いまからこんな山々を越えて行くと思うと少し緊張しました。ほどなく横川駅に到着。ここで千葉県野田市のバイクショップ「輪工房」オーナー田口さんと待ち合わせです。

タイ・チェンライのマウンテンバイクレースで知り合ったバイクショップオーナー仲間であり、今日は二人で最大の難所「旧碓氷峠」を越える約束なのです。旧碓氷峠は江戸時代の中山道の姿をそのままに残した道で、麓の坂本宿からいっきに刎石山の頂上付近まで上り、そのまま山中を歩いて「軽井沢宿」に出る道です。

完全な山道でロードバイクには乗ることは全く不可能。ここから軽井沢宿までは全て押しと担ぎの旅になります。しかも道は火成岩で出来た石畳が崩壊していてとても歩きくくガレ場で非常に危険です。古道の入り口から二人ともバイクを担ぎ上げです。どう考えてもロードバイクがあるのが異質。そんな山道です。

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滑りやすい足元を一歩一歩確かめながら歩いて登ることにしました。担ぎながら山道を登っていると、どちらからともなくタイのチェンライでのマウンテンバイクラリーの話になりました。そのレースも山岳民族の村に向かって担ぎ上げるステージがあるのです。

決定的に違うのは肩にのしかかる自転車の重量。SYNAPSE Hi-MODはDURA-ACE Di2でくみ上げ、カーボンホイールを付けた6kg代の超軽量仕様。普段担いでいるマウンテンバイクに比べれば重さは無いも等しいです。それでいて抜群の強度があるのですから、SYNAPSEは冒険用自転車としては最高の選択でしょう。

何度か休憩しお餅を食べながら刎石山の頂上に到着すると眼下には坂本宿の町並みが飛び込んできました。疲れも一気に吹き飛びました。その後も延々と山道は続き、途中の休憩場所でヒルに血を吸われたり、熊が出ないかとヒヤヒヤしながらの歩行は気疲れしましたが、しゃべりながらの道中はとても楽しくあっという間に2時間が過ぎて、峠道の終わりである舗装路に到達しました。

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熊野神社というお社があり、その中に国境が通っています。中には国境を挟んで二つのご神体がある大変珍しい神社です。思わずお賽銭をどちらに入れようか迷ってしまいました。神社の前の山道を降りて行き舗装路を下ったところが「軽井沢宿」。

しかし現在の軽井沢宿は昔の街道風情はほとんど消え失せて一大観光地になっています。冒険とノスタルジー、それを求めながら行く旧街道の旅では華やかな観光地は必然的に避けてしまいます。そのまま軽井沢宿を通り過ぎ、「沓掛宿」「追分宿」「小田井宿」と足早に過ぎていきました。それにしてもこの区間はなんだかあっという間。

それもそのはず軽井沢宿より道はずっと下り基調になっているのです。浅間山の緩やかな麓の斜面に宿場町を築いたのでしょう。なだらかな下り坂はまるで追い風を受けたようにペダルを踏まなくても自然にあっという間に自転車を加速してくれるのです。しかし旧中山道は突然道が途切れたり、鉄道で寸断されていたりするため、気をつけていないとすぐに道を見失います。

数キロメートルも逆戻りしたりする羽目になります。下りながらも両目はGPSと道路の端々を行ったり来たり。でもちょっぴりそこが楽しい。ルートハンティングの楽しさが旧街道の旅には詰まっています。こんな道が中山道なの?という驚きとおかしさが旅をさらにワクワクしたものにしてくれます。しばらくして「岩村宿」を過ぎ「塩名田宿」で千曲川にでました。ここで田口さんとはお別れ。

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田口さんのおかげで中山道最大の難所を楽しく越えることができました。そろそろ日暮れの時間。今日の宿泊地は「芦田宿」です。そこまでは「八幡宿」「望月宿」を残すわずか二里程度(8キロ弱)。楽々到着できるとタカをくくっていましたが、実はここから小刻みなアップダウンが・・・。しかも意外と斜度が厳しくみるみる体力が奪われていきました。それもそのはず、中山道最大の難所を越えてきたのですから疲れていて当然。お腹も減ってきたし水も無い。辺りを見回しても補給出来そうなところはほとんどない。そうです。旧街道は幹線道路から離れるとコンビニエンスストアはおろか自動販売機すら見つけることが困難なときがあります。

這々の体で最後の一里をやり過ごしかなり弱りながら「芦田宿」へ到着。辺りは薄暗くなり始めていましたからホッと胸を撫で下ろしました。この日の宿泊は、江戸時代のそのままの建物で現在も営業を続ける旅籠「土屋旅館」です。当時の「つちや」という看板と卯建(うだつ)がとてもいい雰囲気。以前からこの昔の旅籠に泊まりたかったのです。

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部屋の中は往時の旅籠そのもので旅人気分で雰囲気を味わうことが出来ます。到着後すぐに風呂に入って食事をいただきました。ビールが旨い!疲れているのか酔いの回りが早い気が・・・。食事をしながら北斎や英泉の街道の浮世絵が頭に浮かびました。今日の走行は二十二里(81キロ)5時半から18時半まで走り続けました。獲得標高・・・どうでもいい。とにかく登って下って担いで歩いて・・・旧街道の旅はある種スポーツですね。

中山道を行く当時の旅人は一日あたり20〜30キロ近く歩いたそうです。そして夕方4時頃到着。風呂に入って食事をして、さらに夜を楽しんで・・・それを17日から20日間続けるわけです。ものすごい体力です。現代人の私は最近体力が低下気味・・・ストレッチをして早めに床につきました。

Vol.3に続く

大人のグランドツーリング「旧中山道編 」
Vol.1「出発まで
Vol.2「日本橋〜高崎宿〜芦田宿
Vol.3「芦田宿〜奈良井宿〜妻籠宿

大人のグランドツーリングシリーズ
冬のグランドツーリング「伊豆半島編

STRADA BICYCLES公式サイト
 
 

report:井上寿(STRADA BICYCLES)
photo:井上寿(STRADA BICYCLES)
date:14.5.1