大人のグランドツーリング「旧中山道編 」Vol.3

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滋賀・京都の人気プロショップ「STRADA」の井上寿代表による旧中山道ツーリング紀行。Vol.3では、信州・芦田宿から始まり奈良井宿を経て妻籠宿へと至る3日目、4日目の様子をお届けします。

三日目
 
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朝4時30分に起床。重い木綿の布団から抜け出すとあちこち筋肉痛が・・。昨日は最大の難所旧碓氷峠を越えてきたのですから当たり前です。しかしながら今日は二つ目の難所「和田峠」を越えなくてはなりません。若干気が重い。こんな峠が旧中山道にはいくつも存在するのです。昔の人は本当にタフだったんだなと改めて思いました。

宿のご主人のご厚意で早めに食事を作っていただきたっぷりといただいて5時半に出発。辺り一面朝の雲海、そこに満開の桜が咲いており幻想的な出発となりました。ほどなくして最初の峠「鳥居峠」を越えます。まだまだ元気でこれをやり過ごし、「和田宿」の近くのコンビニエンスストアで休憩。仕事のメールを30分ほどこなしてから再出発。こんなところでも仕事ができてしまうのはスマートフォンの功罪か?と自嘲気味になりながら、いよいよ難所の和田峠にはいりました。

入り口に案内看板がありました。読むと「和田峠は中山道最大の難所」と書いてあります。そういえば昨日の碓氷峠も最大の難所と書いてあったし、一体いくつの「最大」があるんだと独りぼやきながら登坂開始。歩き始めてすぐのところで一里塚を見つけました。一里塚の盛り土が昔のままの姿で両方とも残っていました。当時の規模のまま残る巨大な二つの一里塚。
 
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旧東海道にも両塚とも残っているところがありますが、裾の方が石やコンクリートで固められており、当時の姿をとどめる一里塚の盛り土を見るのは初めてでその大きさに驚きました。一里塚から峠までの上りは一里半(5キロ)程度。しかも碓氷峠とは違い、普通に自転車を押していける山道です。距離は短くなだらかで、途中石畳があるものの碓氷峠に比べると随分と歩きやすいものです。意外と拍子抜け。1時間ほどで和田峠の古峠に到着。古峠は舗装路側の峠と違い、大きく視界が開け風が吹き抜け、とても気持ちのよい場所でした。

最大の難所というけれどもそうでは無かったな。ほどなくして下りに入りましたが、しかしそこから道が一変!再び火成岩のガレ場が出現し足元が危なくなってきました。しかも断崖になっている場所も現れ気分は一気に不安に。さらには急斜面になっていて立っていても滑り出すぐらいです。かなり注意が必要です。一部道が崩壊して仕方なく河原に降りなくてはならない場所もありほとんど道ではありませんでした。
 
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不安定な足元に時間をかなり取られ1キロも無い区間に1時間かかってようやく下山。上りは楽勝でしたが下りは神経をすり減らすことになり大いに疲れました。わずか1キロ程度を1時間かかって降りてきたことになります。確かに向かう方向によって「最大の難所」は変わると身をもって知ることになりました。

その後は国道と重なる区間に入りいままでのうっぷんを晴らすように全速で下りを走行しました。しかしミスコースするわけには行きません。例によってGPSと道ばたを見比べながら走りました。ふと見るとガードレールの切れ目に「中山道」の文字が・・・止まりきれず数百メートルそのまま下ってしまいました。峠で疲れた身体が「無理することはない!直進しろ!」と訴えてきます。一瞬そのまま下ろうと思いましたが、出来る限り忠実に旧中山道を踏査するという旅の大きな目標が、鈍くなった私の身体をを動かし数百メートルをUターンして戻り、ガードレールの切れ目から再びガレ場に足を踏み入れたのでした。
 
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諏訪湖のほとり「下諏訪宿」に下ったときはすでに正午。ここまでに6時間半を費やしています。今日は木曽路の「奈良井宿」までの予定をしているので少し焦りと疲労の色が・・・。コンビニでおにぎりとチョコレートを買い込み口に放り込んですぐに出発。一路「塩尻宿」を目指します。街道の史跡の前でシドニーオリンピック代表でバイクショップ「BIKERANCH」オーナーの鈴木雷太さんと合流。この日のお伴として同行いただくことになりました。
 
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ほどなくフォトグラファーの石川さんも加わり大人数で塩尻峠へ向かいました。急激な坂にたまらず自転車を降りる私。背中には約20キロ近くの荷物を背負っており、歩いているときは重量は感じないものの、さすがに峠の乗車時には荷物が重力にそって私の身体を押し倒そうとします。

サイクリストなのに坂を押すのは悔しいのですが、もとより旧街道旅は自転車を担いだり押し歩きしたりするので良しとしました。雷太さんは現役時代は100キロ以上走ってから全力で塩尻峠を登っていたそうです。こんな急斜面をさすがオリンピアン。でも今日は私に合わせて押し歩きで峠を登ってくれました。

後ろを振り返ると諏訪湖の綺麗な姿が。しかし写真に収める元気がありません(笑)塩尻峠で同じく経営者同士で業界話に花が咲きます。バイクショップオーナーもいろいろとモノを考えながら日々頑張っています。(笑)

塩尻峠を越えてからの下りは快適そのもの。桜が満開の「洗馬宿」を、みんなで止まっては撮影しながら進みました。すると突然のパンク!小石がトレッドに突き刺さっていました。あたりは風情のある建物が増えてきました。山の峰が重なるようになりもはや信濃路は終わりです。ここで雷太さんとはお別れ。本当に楽しいひとときでした。

木曽路に入ると日陰が寒く感じられるようになりました。一気に夕暮れが迫ってきました。「贄川宿」に入り夢中になって撮影をしているとあっというまに17時。宿の予約時に18時までに必ず入ってくれということだったので、かなり焦りが出てきました。江戸時代、宿場町には木戸が設置されており、夕方6時頃になると防犯上門を閉めてしまうのでした。一度しまってしまうと門番は旅人を中には通してくれませんでした。

それを思い出し必要以上に足を速めました。おかげで18時前に奈良井宿に到着。およそ二十里(77キロ)。今日も5時半から18時まで目一杯は知り続けました。宿に入り有名な奈良井宿見物。奈良井宿はいままで通ってきた鄙びた宿場町とは打って変わって人が多く、遅い時間まで観光客が歩いていました。外国人にも人気のスポットのようです。
 
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ちょっとした街道テーマパーク的な印象でした。この日宿泊したのは、やはり江戸時代から営業している「伊勢屋」。昨夜は私一人だけの宿泊でしたが本日は満員御礼。フォトグラファーの石川さんと鹿肉に舌鼓を打ちながらビールを3本開けて大いに食事を楽しみました。

四日目
 
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石川さんと早朝から奈良井宿の町並みを撮影。早朝は観光客もほとんど出ておらず、軒を連ねる商店もまだ開店していないことから、往時を偲ばせる町並みを撮影することが出来るのです。ふたりでいろいろなアングルを選びながら1時間半ほど撮影に費やしました。ここで石川さんとは別れ、ひとり鳥居峠を目指すことに。

案内には例によって「最大の難所」と書いてあります。(笑)峠に入ってしばらくは急勾配で押しが続きます。その後はなだらかな歩きやすい上り。30分ほどたって一度目の休憩です。斜面から湧き出ている水で顔を洗い補給食を取りました。宿で握ってもらったおむすびです。塩味が身体にしみ込みました。

辺りからうぐいすの声があちこちから聞こえます。相当な山の中、自分は冒険的なサイクリングに身を投じている・・・。そんな旅の気分を噛み締めよう、そう思った時でした。上の方からパラパラとしたエンジン音が。なんとこんな峠道をノーヘルのおじさんがカブに乗って降りてくるではありませんか!何事もなかったように私に一瞥をくれて過ぎ去って行かれました。まったく旅の気分などどこへやら。おじさんにとって鳥居峠は生活道路だったんですね。にわかに笑いがこみ上げてきました。
 
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オジサンが過ぎ去ってから約19分、峠の頂上に到着。なんだかあっという間でした。頂上では御岳が美しい姿を見せています。下りも上り同様に穏やかな道で、ほどなく「藪原宿」へ到着。今回もやっぱり最大の難所だったのか疑問に思いましたが、頂上付近にたくさんの熊よけの鈴がありましたので、ひょっとしたらそういう意味での難所だったのかもしれません。現代と違って草鞋で歩いていた昔の旅人達。斜度や高度で難所とするのではなく、山賊や動物、病気などいろいろな要素で行く手を遮られていたのでしょう。だから峠そのものを難所と呼んでいたのでしょうね。

藪原で仕事の時間を済ませ「宮の越宿」へ。ここは旧中山道の中間地点となります。見渡すと遠くに雪を抱いた駒ヶ岳が見え背中には清流のせせらぎが聞こえます。のどかで静かな山あいの村でとても好感が持てます。ほどなく昼だったのでこの宿場町で食事をしようと飲食店を探しました。しかしどこにもそれらしき所はありません。それどころか自動販売機すら見つけられず。

誰かに聞こうと思い探しましたが、誰ひとり歩いていません。近くに国道19号が出来てから、この集落の経済圏はすべて国道側に移動してしまい、街道筋はどうやら取り残されてしまったようなのです。旧街道を旅しているとこのような集落をたくさん通ります。数十年も前に閉めたような古びた看板の商店。通る自動車には高齢者マークが多く、道々にもお年寄りの姿ばかりが目立ちます。

あちこち窓ガラスの割れた空き家。古びて倒壊しそうな建物、苔や蔦に飲み込まれてしまった捨て置かれた自動車など、宿場町に関わらず至る所で日本の地方の現実の光景を目の当たりにします。すぐそばの19号線にはたくさんのトラックがひっきり無しに通って行きます。
 
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旧街道の宿場を通る細い道とは違い、国道は太く力強くしかも遠慮会釈なく直線的に山々を貫いています。そんな国道の横に取り残されたようなように残る宿場町の風景は、まるで北海道の石狩川にみられる三日月湖のようで、少し切ない気持ちにさせられます。旧中山道の宿場町の中にはにぎやかで経済的に成功しているところもありますが、この宿場町のように過疎の一途をたどっているところもあります。

そのうちに宿場町であったことを示す看板のみが残るのではないか。そんな寂しい現実がやってくるのかもしれません。そうならないことを祈ります。気を取りなおして出発。「福島宿」は関所の町。江戸時代、日本四大関所と言われ旅人達から恐れられた福島の関があります。

有名な「入り鉄砲に出おんな」とは、諸藩の暴動を恐れた幕府が、江戸城下に運び込まれる武器と、人質として江戸に住まわせている諸大名の奥方達が変装して逃亡することを恐れ、これらを厳しく取り締まったことを言います。もし私がタイムスリップして自転車でこの関所を通ったらどうなっていたでしょうか、などとどうでも良いことを考えながら「上松宿」に。国道19号線は路側帯も狭く、道路はひび割れ、ものすごい速度で通り抜けるトラックに気を揉みながらの走行で大変疲れました。

幹線道路はこれほどまでに気疲れするのかということを改めて感じさせられました。トラックに気を取られているうちに上松宿の手前でミスコース。存在するはずの道がありません。GPSにプロットした古地図とは地形が大きく変化しているみたいです。しかも案内看板が朽ち果ててどちらに行っていいのやら分からず。

うろうろしているうちに野生のサルの軍団に遭遇!散り散りに逃げ出したサル達でしたが、一匹が慌てて登った枝が折れて、私の面前に落下・・。歯を剥き出して襲いかかってきました。こちらも慌てて逃げ出したのですが、そのため再びミスコース。かなり走り過ぎてUターン。一度下った坂を再度登る羽目に。挙げ句に道を辿って行った先がなんと民家の庭・・・こんなところじゃ無いと何度も道を探すも、やはりこの庭しかなく、勇気を出して通り抜けるとやはりその庭先が旧中山道だったりで、迷いに迷って1時間ぐらい道を探し続けました。
 
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「須原宿」では小学生達にたくさん「こんにちは!」「どこから来たのですか!?」と聞かれ、先ほどからのやさぐれた気持ちが少し和らぎました。ずっと独りで走っていると話しかけられることに喜びを感じることがあります。

「野尻宿」では女子大生3人組に声をかけられました。話してみると東京の大学で日本史を専攻しているとのこと、旧街道の研究もしており2週間をかけて東京から京都まで歩いているのだそうです。碓氷峠と和田峠はやはり相当に厳しかったらしく、自転車を担いで越えたことを話すと目を丸くして驚いていました。

楽しい話にすっかりと気を取られていましたが気がつけばもう17時。宿に電話を入れて18時ぎりぎりになることを告げ慌てて走り出しました。妻籠に到着したときは山の稜線にすっかりと夕日が落ちていました。妻籠もやはり観光地化されている宿場町ですが、奈良井宿よりさらに街道の町並みが保全され、より往時の雰囲気をいまに伝えている宿場です。
 
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とくに日没近くになると商店は店じまいし、歩く人もまばらでとても良い雰囲気です。日没の光線の良いタイミングだったので大急ぎで写真を撮り、となりの間の宿「大妻籠」に向かいました。今日の宿泊先は「まるや」。ここも江戸時代から続く旅籠です。障子の向こうは雨戸だけでガラス戸が無いという本格的な旅籠でした。
 
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大人のグランドツーリング「旧中山道編 」
Vol.1「出発まで
Vol.2「日本橋〜高崎宿〜芦田宿
Vol.3「芦田宿〜奈良井宿〜妻籠宿

大人のグランドツーリングシリーズ
冬のグランドツーリング「伊豆半島編

STRADA BICYCLES公式サイト
 
 

report:井上寿(STRADA BICYCLES)
photo:井上寿(STRADA BICYCLES)
date:14.5.22